出口晃多やや詳し年表
やや詳し年表
就活で自分のプロフィールを載せる場所が増えてきました。
毎回毎回書くのがめんどくさいという事や、
サイトによっては長いという事や、
キングダムハーツIIIアルティマニアが届いたという事もありますし、
これが本家だよという詳細プロフィールを掲載したいと思った次第で
あります。どのサイトでもはてなブログのリンクつなげているので
まあいいかなと。というわけでやや詳し年表です。
中学時代
剣道部に所属。顧問にしごかれる。どうあがいても抗えない絶対的な力(物理)がこの世には存在するという事を理解する。
高校時代
演劇部に所属。様々な人間を演じる上で自分が他者からどう見えるかを分析。
副会長を務め順風満帆な学生生活を送っていた。
しかし、高校卒業のタイミングで、最愛の彼女と別れ、大学受験に失敗。
卒業式当日も後期試験を控えていたため、「全然卒業じゃない、、」などとほざき、 卒業アルバムのメッセージ記入を誰にも頼まないなど拗らせた結果、 綺麗に高校生活を締めくくることが出来ず青春ゾンビになりさがる。
一番大切な物が無くなっても人間は生きるしかない事を痛感。
山口大学に進学
「外国人と話すのには外国語を学ぶ必要がある。同じようにプログラム言語について理解を深めればどんな職業であれ働きやすくなるのでは?」
という動機で情報系学科へ進む。しかし
「君たちはエンジニアになりますが、それにあたってー」
という教授のセリフを聞き続けることになり後悔。
絶望の連続の中、大学入学と同時に山口情報芸術センターと運命的な出会いを果たす
ここで「メディアアートと一般市民を繋げる人ー通称ファシリ屋ー」
になる。
メディアテクノロジーを用いたワークショップを執り行うファシリテーターとしてインターンにも似た働き方を(2019年健在も勤務中)始めることとなる。
中でも私に影響を与えたものがスポーツハッカソンと呼ばれるものである。このイベントは、
メディアテクノロジーを用いた道具にアイデアを掛け合わせることで、
未来の運動会ではやっているかもしれない全く新しいスポーツを作るというものである。
このイベントで私は、
未知と触れ合う参加者達のファシリテーションを行なった。
ものづくりというものは
私自身でゼロからイチを作ることだけを指すものではなく、
誰かに何かを与え、キッカケや考え方を提供することも含めているのではないか、と私は考えた。
そこで私の中に
「何かと何かを掛け合わせる事で、新しい何かを作るための場やハブとして働きたい」
という想いが生まれることとなった。
また、ワークショップや演劇の経験から、その場限りのナマモノに対しても強く関心を抱いている。
全時代を通して
と、ここまで様々なフラグがたったタイミングに沿って私という人間について綴って来たが、
それらを全て取っ払っても何ら問題が無いほど私はゲームが好きである。愛している。
私は一人っ子であり、幼少期に親が離婚した事もあり、一人で過ごす時間多く、その時間を別段嫌ってもいなかった。
その時間に、
現実の自分と、それを見つめる自分と、2人目につっかかる3人目と対話をする事で思考を深めていた。
そんな私にとって、幼い頃から側にあったゲームというものは、
自分以外で自分に寄り添ってくれる最高の教材であり相棒であった。
妹と生き別れた時も、
同窓会で彼女と再会し「もう会うのこれで最後にしよっか」と別れた時も
喪失感で埋もれていたはずがいつの間にか「ご注文はうさぎですか?」に埋もれていた大学二年の春休みも。
全ての悲しみや喜びの側にはゲームがあった。
常に私と正面から向き合い、必ず希望や勇気を与えてくれたゲームは、
人生の先生であり、相棒であり、ライバルなのだ。
私自身何を書いているか分からないが、私も自分の人生を賭してゲームに情熱を注ぎ、たった一人だけの人生であろうとそこに色を添えられればと考えている。
自分にはどんな方法が取れるのか。
ワクワクするゲームをプレイしている最中である。
追伸
当家カービィ比約56倍
56倍!!!!!!!!